2011年10月27日木曜日

東工大=日本近代デザイン運動の源流(の一つ)

今ではすっかりと忘れられていますが、東工大(の前身校)にかつて存在した「工業図案科」は、日本の近代デザイン史において東京美術学校(現・東京藝術大学)、京都高等工芸学校(現・京都工繊大)と共に重要な役割を果たしました。


工業図案科が活動したのは、1897(明治30)年から1914(大正3)年までのわずか17年間でしたが、当時の欧米をも先んじた先進的な教育を行い、優れた工芸技術者・指導者を輩出。日本のインダストリアルデザインの発展に大きく貢献したのです。1897年というと、ドイツのバウハウスすら設立されていない時代です。


さて、東京高等工業学校(東京高工)工業図案科の卒業生というと、まず挙げられるのは芹沢銈介です。民芸運動の旗手の一人として、また人間国宝として多くの人がご存じでしょう。


しかし、芹沢の他にも日本近代デザイン史を彩る俊英がここを巣立っています。例えば、大正期にわずか33年の生涯で繊細優美な多くの家具を設計した家具デザイナーの森谷延雄。草創期のデザイン教育に大きな足跡を残した宮下孝雄などです。その中でも特に注目したいのは、初代工芸指導所所長となった國井喜太郎です。


工芸指導所は、日本の輸出産業振興及び東北地方の産業発展等のため1928(昭和3)年に設立された官立の機関で、その後の日本近代デザイン史に決定的に重要な役割を果たしました。『工芸ニュース』等を通じた海外最新デザイン事情の紹介、優秀なデザイナーの輩出など、その後の日本のインダストリアル・デザインの基本的枠組みを用意したと言っても過言ではないでしょう(なお、空襲で焼けてしまいましたが、工芸指導所本部は一時大田区下丸子にあり、東工大の近くでした)。


その『工芸ニュース』に見られる國井のデザインに対する姿勢を見ると、その先進的であることに驚かされます(※1)。國井は仙台という(当時としては)僻地にある工芸指導所を盛り上げ、ブルーノ・タウトの招聘など当時のデザイン界を強力に牽引します。その功績を讃え、プロダクトデザイン及び工芸に関して優れた業績を挙げた人々を顕彰する國井喜太郎産業工芸賞が昭和48年に工芸財団により設けられています。


東京高工の工業図案科は、大学昇格を目前に文部省によって廃止されるのですが、これを遺憾とした同科の松岡壽、安田禄造らは1921年に東京高等工芸学校東工大附属科学技術高校千葉大学工学部の前身の一つ)を設立。そして、東京高等工芸学校からは、戦後日本デザイン史を担う中心的人物が多数輩出されます(なお、國井は東京高等工芸の卒業生を工芸指導所に多数採用します)。


その代表格はデザイナーの剣持 勇渡辺 力秋岡芳夫でしょうか。特に工芸指導所でブルーノ・タウトの指導を受けた剣持は、柳宗理、渡辺力らと日本インダストリアルデザイナー協会を結成するなど、日本のインダストリアル・デザイン界の指導者的存在の一人として世界的にも著名です。


その他、豊口克平伊藤憲治久野 実富谷龍一渡辺三郎、伊東祐義(三菱電機の最初のデザイナー)など枚挙にいとまがありません。決して規模的に大きな学校ではなかった東京工業高等学校工業図案科、東京高等工芸学校が、このように近代日本デザイン史に大きな足跡を残せたのはなぜでしょうか?


推測ですが、それは工業図案科を強く推進した東京高工第2代校長手島精一の卓見があったからではないでしょうか。手島は幾度もの洋行と教育博物館長の経験、博覧会での経験から、工業製品のデザインが非常に重要になることを見抜き、デザイン教育に力を入れました。


手島の肝いりで誕生した工業図案科ですが、なんと、その英語パンフレットにはindustrial designの文字があり、米国においてインダストリアルデザイナーが活躍し始める20年も前、まだindustrial designという言葉がなかった時に、既にその概念を先取りしていたと言います(※2)。


そして、東京高工の工業図案科に集められた教員も、海外でデザインを学んだ当時一流の人材でした。明治時代の第一世代のデザイナー(まだ、デザイナーという言葉はなかったのですが)を牽引し、日本初のデザイナー団体の一つ(大日本図案協会)を旗揚げした平山英三井出馬太郎、我が国初のデザイン理論書である『一般図按法』を著した小室信蔵、最初期のデザイン教育に尽力した島田佳矣などです。


私は、日本近代デザイン運動の源流の一つとして手島精一を位置づけたい欲求に駆られます。工業図案科の設立に始まる多数の優秀な人材輩出と、その卒業生達の活躍は、確実に日本近代デザイン運動の大きな力となったことだけは間違いありません。


★なお、冒頭の画像は『東京高等工業学校二十五年史』ですが、この装幀は工業図案科が担当したのです。

【参考文献】
※1 例えば、「本邦工業の工藝的進展を望む()」など。
※2 「日本のインダストリアルデザインの歩み」(1953年、豊口克平)より

その他、本稿の作成に当たっては以下の資料を参照しました。
○緒方康二の一連の論考
明治のパイオニアたち」、「明治とデザイン : 東京高等工業学校工業図案科を中心に」、「明治とデザイン : 大日本図案協会と雑誌『図按』」など。
○『意匠制度120年の歩み』(平成21年3月 特許庁意匠課) 第1部第6章 大正10年意匠法の制定