2011年10月24日月曜日

東工大と東京都市大学

2009年の創立80周年をもって「東京都市大学」と改称した武蔵工業大学ですが、昔、キャンパスが大岡山にあったことを知っている人は数少ないようです。


武蔵工業大学は、1929年(昭和4年)、五反田に「武蔵高等工科学校」として創立されました。創立の際は、地理的な近さもあり、東工大、東京高等工芸学校(現・東工大附属高校の前身の1つ)の教授がかなり協力したようです。


五反田キャンパスは仮造りの校舎だったのですが、キャンパス用地を探していた彼らに大岡山・清水窪の土地貸しを申し出たのが目黒蒲田電鉄(現・東急電鉄)の五島慶太でした。


この清水窪の土地は、実は元は東工大のキャンパスがあったところなのです。昭和初期当時、東工大の大岡山キャンパスはバラバラの状態だったのですが、碑衾町呑川付近+清水窪付近の3万2千坪と、本部と石川台の間の民有地1万8千坪を目黒蒲田電鉄と土地交換するなどし、昭和9年にキャンパスが一つにつながります。
※この経緯については「東工大、今日の一枚(33)」も参照。


目黒蒲田電鉄は、東工大との土地交換により手に入れた清水窪の土地に、武蔵高等工科学校を誘致したのです。校舎建設が始まったのは昭和7年。場所は、現在でいうと、ちょうどウェリナ大岡山があるあたりでした。


つまり、武蔵工業大学は東工大の土地だったところに校舎があった大学なんです。ですが、武蔵高等工科学校の校舎が大岡山にあったのは極めて短い期間で、7年後の昭和14年には現キャンパスがある等々力に再移転してしまいます。キャンパスの狭隘化等が理由でした。


しかし、移転後も東工大と武蔵工業大学の縁は続きました。東工大の学長を務めた八木秀次先生が武蔵工業大学の第3代学長に就任、1960年(昭和35年)、武蔵工業大学に原子炉研究所を設置して、東工大の原子炉研と連携する体制を整えます(因みに、東工大の原子炉研が設立されたのは、4年後の1964年(昭和39年)です)。


また、第4代の学長には東工大工学部長だった山田良之助先生が就任しています。このように、東京都市大学と東工大は、ただ立地が近いというだけでなく、因縁浅からぬものがあるのです。


それにしても、昭和7年から14年という短い間ではありますが、東工大と武蔵高等工科学校という2つの工業系学校が大岡山にあったというのが不思議な気がします。随分濃い街ですね、大岡山は。