2011年7月8日金曜日

東工大は、東大の一部だったことがある

東工大は、東大の一部だったことがあるのをご存じでしょうか?


設立間もない東京職工学校(現・東工大)は、明治19年の4月29日から明治20年10月4日までの約1年半の間、帝国大学(現・東大)の附属校になるのです。


東京職工学校が帝国大学の附属校になった理由はよくわからないのですが、一言でいえば経営不振のためだったようです。学生募集もうまくいかず、経営にも多額の費用がかかる…というような理由で、当時の文部省は東京職工学校を独立した学校とするのは得策でないと判断し、帝国大学の一部にしてしまいます。当時、文部省は工部大学校と帝国大学の統合など、教育機関の統合を進めていたという事情もあったようです。


そして、東京職工学校の第1回卒業式が1886年(明治19年)の7月12日に行われたのですが、ここで卒業生に渡された最初の卒業証書は、東京職工学校校長名ではなく、帝国大学総長渡辺洪基の名前で作成されたものでした。つまり、東工大の一期生は、東大から卒業証書をもらったのです。


ちなみに、東京職工学校の第1回卒業生は24人。工場らしい工場はない時代で、技術者という存在は時代に先駆けすぎていたため、就職は困難を極めたそうです。


明治20年には東京職工学校は帝国大学の下を離れ、文部省直轄の独立機関に戻りましたが、その理由も今となってははっきりしません。思ったより経費減にならなかったという理由もあるようですが、手島精一濱尾新(当時の文部省の幹部)が強く働きかけたということもあったようです。


両名は、帝国大学の附属では工業教育が軽んじられるので、是非とも独立機関として教育すべきだという共通の認識に立って調整に尽力したといわれます。ちなみに明治23年には、手島精一は東京職工学校第2代の校長になりました。


明治19年から20年は、東工大がなくなりかけた危機の時代だったのです。