2010年6月23日水曜日

東工大、今日の一枚(33)

大岡山キャンパス、石川台へ続く地下トンネルの石川台側からの眺め。


石川台キャンパスの歴史は実は古く、東工大が昭和の初めに関東大震災に罹災し、大岡山に移ってきた時に既に平屋建ての研究施設が建設されています。


しかし、当時は大岡山駅周辺、清水窪、石川台(当時は「出穂山」)とキャンパスが分かれており、不便でした。


そこで、昭和3年の冬、当時の中村幸之助校長は東急電鉄(当時は、目黒蒲田電鐵株式会社)の五島慶太氏と交渉を開始し、東工大が持っていた碑衾(ひぶすま)町呑川付近+清水窪付近の3万2千坪と、本部と石川台の間の民有地1万8千坪を交換して、昭和9年10月22日、めでたくキャンパスが一つにつながったのでした


ところで、私が疑問に思っているのは、この石川台へのトンネルがいつ造られたかです。古い資料を見ても、ここにはトンネルがあり、大分昔に造られたものだろうと思うのですが、トンネルを掘削したという記録が見あたりません。大学の施設運営部にはおそらく残っていると思いますが、どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただければ幸甚です。


※土地取得に関しては、いろいろ難しい話があるようで、公式の記録にもあっさりとした記載しかありません。なお、ここでは単純化して書きましたが、東工大が東急電鉄と交換した民有地は、もともと東急が所有していた土地ではなく、東急は各土地所有者からまず土地を買収し、その土地をもって東工大との土地交換を行ったようです(「東京工業大学六十年史」による)。